気づけば、自分の話になっていた。
帰国してから始まった、仕様を決める毎日
バングラデシュから日本へ帰り、本格的に車体の仕様を詰める作業が始まりました。
現地で目星をつけてきたフレームについて、寸法や規格をあらためて確認する。
日本で販売するなら、そのままで問題ないところもあれば、変更した方がいいところもあります。
工場とはメールやビデオ通話でやり取りを続けました。
「この部品は変更できるか」
「この規格のものは用意できるか」

「日本で使うなら、こちらの仕様にしたい」
こちらから希望を伝え、工場で調達できる部品を確認してもらいます。
希望するものが用意できない場合には、工場が取引しているパーツメーカーを教えてもらい、今度はこちらでそのメーカーの製品ラインナップを調べる。
その中から、
「この部品なら使えそうだ」
「この規格なら日本でも扱いやすい」
というものを探し、品番まで指定して工場へ伝えました。
フレームの規格を確認する。
パーツを探す。
工場に確認する。
合わなければ、また別のパーツを探す。
そんな作業を繰り返しながら、少しずつ一台の自転車の構成を仕上げていく毎日になりました。
「選ぶ」から「つくる」へ
バングラデシュへ行ったときの私の立場は、あくまで日本市場向けの自転車について意見を出すアドバイザーでした。
ところが、帰国して仕様を詰め始めると、
「この自転車なら日本でも売れそう」
と意見を言うだけではなく、
「日本で販売するなら、どんな自転車にするべきか」
を自分で考え、部品を選び、工場と相談しながら仕様を組み上げるようになっていました。
今振り返れば、このあたりから、
「輸入する自転車を選ぶ」から「日本向けの自転車をつくる」へ。
少しずつ仕事の内容が変わり始めていたのだと思います。
日本で販売する5モデルが決まった
やり取りを重ね、日本で販売する車体のラインナップも固まっていきました。
工場が生産している自社ブランドのフレームをベースに、
ロードバイクタイプを3モデル。
クロスバイクタイプを2モデル。




まずは、この5モデルから始める計画です。
使用するフレームを決め、日本向けに変更するパーツを選び、それぞれの車体の仕様をまとめる。
そして工場へ、
「この内容で生産を始められるよう、準備を進めてほしい」
と連絡しました。
2024年の年末頃のことです。
ここまで来れば、あとは生産が始まるのを待つ。
そう思っていました。
ところが、少し問題が起きます。
なかなか進まない
こちらから進捗を確認しても、工場からの返事がなかなか来ない。
追加の要望を伝えても、以前より反応が遅い。
そんな状態が続くようになりました。
自転車店にとって、3月、4月は大きな時期です。
進学や就職などで生活環境が変わり、新しく自転車を必要とする人が増えます。
だから私としては、
「できるだけ早く生産を始めてもらって、春には日本でお披露目したい」
と考えていました。
仕様はこちらで決めた。
準備も進めている。
それなのに、なかなか話が前へ進まない。
この頃は、とにかくもやもやしていたのを覚えています。
年が明けて、工場から一つのお願いが来た
年が明けて、2月。
工場側から、これまでとは少し違うお願いを受けました。
「親会社のメグナグループの会長が、自転車事業部のトップと一緒に大阪へ行く。日本の自転車小売市場を案内してもらえないか?」
半日程度の限られた時間です。
せっかくなら、日本の自転車市場がどのようになっているのか、できるだけ幅広く見てもらった方がいい。
そこで、時間内に回れそうな店舗をピックアップしました。
高価格帯のスポーツ自転車を扱う専門店。
全国展開するサイクルベースあさひ。
イオンバイクのような、日常生活で使う自転車を幅広く扱う店舗。
価格帯も、販売方法も、客層も違います。
店舗を回りながら、聞かれたことについて、自分が答えられる範囲で日本の自転車市場を説明していきました。
今になって思えば、大企業グループの会長という立場であっても、
「自分たちがつくっている自転車を、日本ではどのように売ることができるのか」
自分の目で確かめてみたかったのかもしれません。
そして、この時に一緒に日本の自転車店を回ったことが、その後の話に大きく影響することになります。
「どうやって、日本で売っていくのですか?」
店舗を案内している中で、会長から聞かれました。
「どうやって日本で、バングラデシュの自転車を売っていくのですか?」
日本では、自転車は実店舗で実車を確認し、店舗で整備されたものを受け取る販売方法が一般的です。
メーカー側も、小売店と契約して商品を卸し、その店舗を通してユーザーへ販売する、いわゆるディーラー制を採用しているところが多くあります。
そこで私は、
「私たちも販売店を増やしていくために、同じようにディーラー制を始めることを考えています」
と説明しました。
そして、もう一つ。
「インターネットを使って、私たちから直接ユーザーへ販売する方法もやりたい」
という話をしました。
実店舗を通した販売と、通信販売による直販。
その両方を使えば、販売店が近くにない地域でも、バングラデシュの自転車を届けることができる。
日本中どこでも、この自転車を買えるようにしたい。
そんな考えを話しました。
気づけば、自分の話になっていた
これは、誰かから頼まれて用意していた回答ではありません。
完全に、私自身が考えていたことでした。
そもそも私の役割は、日本向けの車体仕様について助言するアドバイザーだったはずです。
どのフレームが日本に合うか。
どのパーツを使うべきか。
日本で販売できる品質なのか。
そこについて意見を出すのが、自分の役割でした。
それなのに会長から、
「どうやって売っていくのですか?」
と聞かれた瞬間、
「どうすれば、この自転車を日本中で買えるようにできるだろう」
と、自分の中で考えていたことを話していました。
相談役として答えたというより、思わず自分がやってみたいと思っていたことを話してしまったのだと思います。
この時点でも、まだ自分たちのブランドを立ち上げようとは考えていません。
けれど振り返ってみると、
「バングラデシュの自転車を、日本中どこでも買えるようにしたい」
という現在につながる考えを、初めて工場側の人たちに言葉として伝えたのは、この時だったのかもしれません。


